宝楽代表理事に聞く、社会的孤立状態にある人を救う助成事業にかけた思いとは?

2022.12.20 まちづくり泉北ニュータウンの孤立と地域をつなぐ助成事業


泉北のまちと暮らしを考える財団が設立されてから2年半が経過しました。2022年4月には泉北ニュータウンの孤立と地域をつなぐ助成事業を開始し、8月には公募結果が発表され、3団体との取り組みが今、動き出しています。今回は代表理事の宝楽陸寛(ほうらく・みちひろ)が改めて財団設立の背景から、どのような仕組みで助成事業が生まれたのかを語りました。

泉北50周年事業で唯一できなかったのは、このまちの未来の話。

泉北ニュータウンがまちびらきをして50年が経過したんですけど、 その当時から泉北ニュータウンは一度底をついた感がありました。

高齢化もしているし、例えば茶山台団地の入居率も30%に落ちていて、もっと何かをしていかないとまずいという背景から、団地は団地、市民は市民が主体となって公園を活用して何かに取り組んだり、さまざまな活動が生まれたんですが、それぞれが横でつながっていなかったんです。

それがたまたま奇跡的につながったのが私の所属するNPO法人SEINが、事務局を務めた2017年12月の50周年事業でした。 通常のまちびらきの50周年の式典はスーツを着た偉い人が赤い紐をはさみで切ってみんなで拍手して終わると思うんです。それだけだったら面白くないと50周年事業実行委員会の企業さんも、行政さんも賛同なさって、町中のあらゆるイベントに50周年事業という冠をつけました。すべてを50周年の事業にして、それを紹介するフリーペーパーを年に2回発行したんです。

そういうことをしてるとやっぱり思いを持ってやっている草の根のプレイヤーがたくさんいて、 その時の運営コンセプトが「出会う、つながる、歩みだす」だったんですが、この3つのキーワードで、セクターで横につながりましょうというのが当時の機運でみんなの現在の活動とこれまでの功績はみんなで称え合ったんだけど、唯一できなかったことが未来の話をすることだったんです。

なぜかというと、行政とか企業とかがお金を出し合ってつくった実行委員会なんだけど、実行委員会なんで、基本的には50周年が終われば解散するというのが共通認識でした。

だけど未来の話は市民として民間としてやっとかないといけないと思ったので、2017年12月に30〜40代の同世代で、これからこの町で子育てしていく人たちと座談会をしたんです。「30年後、みんなはどんなまちを残したい?」というフリートークを開催したところ、結構ポジティブな声が上がってきて、 「もっとつながった方がいいんじゃないか」という意見が出て、とりあえずお互いのことを勉強しようかという話になりました。

コミュニティ財団の存在を知った

僕が活動しているNPO法人SEINは茶山台を拠点とした突撃隊のような組織で、役割としてはNPOを設立したり、相談に乗ったりはしているけど、やっぱり地場の人なんです。 じゃあもっと泉北ニュータウン全体に網をかけたような支援者が必要なんじゃないかと言って、その頃に知ったのがコミュニティ財団という考え方なんです。

コミュニティ財団は全国に30組織ほどありまして、都道府県単位もあれば、滋賀県東近江市という市町村では市がつくったコミュニティ財団なんかもあります。面白い動きとしては例えば高知県であれば4つの町でつくったネットワーク組織でコミュニティをつくっていたりとか、九州の筑後川という川沿いの市町村のエリアを対象エリアとするコミュニティが生まれていたりと、暮らしに近いところでコミュニティデザイナーが増えているというのが当時の気運としてありました。

それで泉北を盛り上げたい人102人を集めて、とりあえず財団をつくる運動やるぞという気運までは高まったんです。動きはじめると、困っている人たちとそれを応援する人たちはいるんだけど、つながっていなかったりとか、いろんな惜しい活動がいっぱいあることがわかりあました。それらのハブになる活動は必要だ、というのは財団をつくっている最中からいろいろ聞こえてきていました。

財団の船出はコロナ禍とともに。

1年かけて300万を集めてこの財団がスタートしたんですけど、実はコロナ禍がはじまったときに僕らの財団が誕生したんです。

だから財団誕生の式典はできず、外出もしづらいので自分の暮らしに近い小学校でアンケート調査をしたり、団地の自治会の協力をもらって住民の今の課題意識を知るアンケート調査をしてわかったのが社会的孤立だったんです。

具体的に言うと、PTAでとった保護者のアンケートで「1人で子育てしている実感がある人はいますか」と聞いたら、回答者の半数がワンオペ育児状態ですと認識していて、かつワンオペ育児とか1人で子育てしている実感って普通、新聞で語られる時はシングル家庭の問題で語られるんですけど、実際のアンケートでは3分の1しかシングル家庭がいなくて、この現状はどこにでもある状態かもしれないとわかったんです。

他にも団地でアンケートを取った時に「困った時は誰に相談してますか」と聞いたら、家族、友人と答えた人が回答者の70%で、逆に自治会とか役所とかを聞いたらって、10%未満やったんです。

つまり、すでにある整えられた社会制度が全然困っている人につながってないってこともわかって、ということは、自治会とかNPOとかすでにある社会資源というものがいろんな人につながってないんだっていうこともわかったので、新しい仕組みの中で、社会的孤立状態にある人たちを救わなあかんなということは調査してわかったんです。

1年目はコロナ禍でいろんなところの問題があったので、私と地域と世界のファンドという大阪府下で初年度は700万ぐらい寄付を集めて、それを1団体35万円ぐらいなんですけど、援助する仕組みはできたんだけど、同時に調査をしてたんです。

次にお金を集めてわかったんですけど、いろんな人が集まれる場所ができれば、もっといろんな財源を集められるんじゃないかと思ってつくったのが泉北ラボなんです。

ほかにもがんばっている病院に寄付したりしながら、「既存にある収益モデルと、もっと暮らしに近いところの支援と、あとは持続していくためのビジネスモデルの3つを組み合わせたような事業がもっと地域に生まれたら新しいインパクトが起こせるんじゃないか、そういうのが求められてるんじゃないか」と考えるようになりました。

その経緯もあって、今回の助成プログラムの基本的な考え方が整理できたんです。

2022年の1月17日に泉北ラボがスタートして運営しはじめると、「フリースクールをやっていいですか」と声をかけてもらったり、たまたましゃべりかけたお母さんが実はお子さんが不登校だと聞いて、よくよく聞いていくと、実は要保護児童で、虐待などで行政の支援にかかりかけていたお母さんだということがわかってきたり。

やっぱり場所があって、 相談しにくるわけでもないねんけど、気持ちいいから来たという人が、実はここでいろんな心を開いて、何かの支援につながるというのを目の当たりにした時に、場所は絶対必要やなと思いました。

でも泉北には今19の小学校区があって、こういう感覚で来れる場所は正直なくて、次の世代がつくらなあかんなと思いまして。そんな経緯もあって泉北ニュータウンの孤立と地域をつなぐ助成事業という助成プログラムをつくったんです。

助成プログラムにかけた思いと泉北で目指す未来

草の根NPOの僕らが集めてきた小さなお金を必要な団体につなげることは大事なんですが、泉北ラボのような人が集まれる箱が持てると関わる人の総量が増えるのもあって、やっぱ大きいお金だからこそ変わることがあると思ったんです。それで休眠預金制度のお金を得ることによって、ほとんどの行政ができない支援の規模で助成プログラムが生まれました。

助成プログラムをやっていく上で泉北で欠かせないのが地域性です。例えば、全住戸の約50%が公的賃貸住宅URとか、公社と言われている団地なんです。戸建てだけのニュータウンは構造がシンプルですが、泉北ニュータウンは賃貸住宅に外国籍の方もいれば、1人親の方もいれば、1人暮らしの高齢者もいる状況なので、これだけ多様なまちだからこそ、例えば、団地の一室を使った支援とか戸建て住宅も28%あるんだったら、高齢化が加速したら空いていくのでストックを活かした活動を支援したら、課題解決が加速して支援者が増えると考えました。ゆくゆく企業と運営したり、行政が新しい助成をつくって増えていけば面白いと思っています。

公募概要の前文に書きましたが、まちびらき50周年を迎え、歴史ある郊外型の住宅街として、次の100周年に向かって、様々な取り組みが行われていますが、一方で児童虐待、子どもの貧困、不登校、教育格差、子どもの自殺、引きこもり、認知症、労路介護、買い物困難者など、当事者やその家族でしか解決できないと思われてる社会問題が、本当にたくさん生まれているので、社会的孤立状態にある人の支援であったら、どんなパターンでもいいから。空き室とビジネスモデルを組み合わせた形で取り組んでもらえませんか、と記載しています。

そしてもうひとつ助成プログラムに込めた思いですが、最初から地域で連携してくださいと書いています。まずお金をもらった人がいて、当事者を支援するのは当然なんだけど、その困っている人たちを取り巻く地域の自治会とか、社協とか、そういうステイクホルダーを入れたネットワーク組織は、最初から絶対つくってくださいと助成プログラムに記載しているんです。

これは自分たちが茶山台団地にコーディネーターの立場で入った実感ですが、誰々と誰々が組んだほうがうまくいくな、という視点の人がいるだけで、支援が必要とされる人が実は支援者になれたり、あるところで活躍できたりする状況が生まれるんです。それは自分たちの中で絶対成功する秘訣だと思ったので、今回のプログラムに盛り込みました。

応募者は10団体で選考会に残ったのが8団体でした。一般企業も応募してきた中で、審査員に評価されたのが今回の3団体です。やっぱり持続性とかも当然なんですけど、地域と一緒にやる必要とか、 自分たちだけがサービスを提供しても、うまくいかないことに気づいてる人たちが今回採択されています。

いま組織は公益財団法人になったのですが、そうなると、 寄付した額の約40%がその寄付した人に戻ってくるんです。役所に渡すこともできるけれど、僕たちの財団に預けることによって、「今までになかった課題解決の方法を開発してくれるの面白いやん」というお金の使い方ができるようになったんです。

公益財団はいろんな人たちに見張られている仕組みなんです。ちゃんと計画通りにお金が使われているかとか、ガバナンスコンプラインスがちゃんと効いているかとか、そういう組織になれた。5年前ぐらいからやっておきたかったと後悔することもありますが、当時の実力では絶対できなかったんです。

今後すごい未来を考えた時に、今は約1億円の休眠預金をお預かりして投資するというのは泉北はすごく大きい投資だと思います。この活動を応援するという人を増やさないといけないという使命感と緊張感がすごくあります。たぶん今までになかった自治モデルが泉北から生まれると思うんですよ。