孤独に感じている人を家から連れ出したい! 心地よい居場所「福祉コミュニティモール」をつくるための歩み。

2022.12.26 NPO法人 福祉ワーカーズほーぷお年寄りまちづくり泉北ニュータウンの孤立と地域をつなぐ助成事業

みなさんは、いま住んでいるまちに満足していますか? パートナーの転勤や親の介護で仕方なくこのまちに住んでいる、という人もいらっしゃるかもしれません。今回お話を聞いた中島紀子さんもそのひとりでした。泉北ニュータウンに移り住んだときは誰一人知り合いがおらず、小さなお子さんの子育て期に孤独を感じていたといいます。そんな孤独な状況下にいる人を支える場所をつくりたいと考えている、福祉ワーカーズほーぷの代表理事、中島紀子(なかしま・のりこ)さんに話を聞きました。

中島紀子さん

福祉ワーカーズほーぷ誕生のきっかけ

ーーーそもそも 福祉ワーカーズほーぷはどんなふうにはじまった団体なんでしょうか?

設立は1998年ですが、元々は生活協同組合エスコープ大阪(当時は泉北生協)という組織がありまして、そこがワーカーズ・コレクティブという地域に貢献できる事業を市民が主体となって起こす新しいタイプの会員制福祉事業の立ち上げ支援をするという動きがありました。

生協が主催したホームヘルパー3級講座を受講した4人が発起人となって生協組合員にメンバー募集して、泉ヶ丘地域に立ち上げたのがほーぷです。

最初は介護保険がなかった頃なので、若い世代のところも行きますし、お年寄りのところにも行って、困っていることをお手伝いするサービスをはじめました。

お手伝いするだけでなく、みんなで集まって触れ合えるような場所がなかったから、最初は公園とかで豚汁をつくったりして、みんなを迎えに行って連れてきて、みんなでおしゃべりしていました。

そういうふれあい広場みたいなことをしたり、集会所を借りてクリスマス会を開催したりしていました。

竹城台に拠点をもち、地域交流事業が生まれた

ーーーそれで2004年に竹城台に拠点をもたれたんですね。

はい、はじめた頃から拠点が必要だと話していました。その拠点をもったと同時にNPO法人になったので、介護保険事業を自分たちでできるようになりました。介護事業と地域交流事業の2本柱で運営していました。

ーーー地域交流の事業は具体的にどんなことをされるんですか?

来てもらえる人数はだいたい10人ぐらいなんですが、参加費500円程度いただいて、歌のサークルとかパソコンサークルとか、少し運動するようなサークル活動を行っています。

2013年にはほーぷの利用会員である小林様から「クリニックの場所が空いたので使いませんか?」と言ってくださって、拠点が増えました。

2012年の時点で介護保険指定事業所介護事業「デイサービスほーぷ」を始めたのですが、地域交流する場所が手狭になっていたので、小林クリニックのほうを地域交流の場にしました。地域にも交流できる場を求めていらっしゃる人が多いので立ち寄れる場所ができて良かったです。

ただ、最初の拠点となった「ほーぷ広場」の建物の老朽化していたので、雨漏りなど建物に支障が出てきたので、物件を返却し、全事業を「ほーぷサロン」に集結したので、また手狭になりました。そういう背景もあって、今回の助成事業に手を挙げさせていただきました。

福祉コミュニティモール構想

ーーーどんな計画を提案されたのですか?

福祉コミュニティモールという名称にしたのですが、イメージとしてはデイサービスだけとか、その地域交流の広場だけとかではなくて、中にコミュニティカフェがあって、子どもさんも入れる場所があって、相談できる場所があって、介護の事業の事務所がある。そんな2階建ての場所をイメージしています。

1階にキッチンがあるのは必須です。地域の人が歩いて来れる場所を想定してます。地域の団体にも借りてもらいたいです。住宅街の元々モデルルームがあった場所に建つ予定です。来年の9月頃にはオープンしたいです。

事業の柱は今までやってきた訪問事業、ヘルパー派遣、新しい事業はコミュニティカフェです。ワンデーシェフ方式といって、例えば週一回、月一回はここで料理を出します、という人を募って借りてもらうようなイメージがあります。内部に何人かお料理が上手な人がいるので、その人たちに声をかけているところです。

ーーー助成期間の2年半の間に目指していることは何かありますか?

ある程度運営が軌道に乗り、コミュニティカフェの借り手が増えて、地域の人が食べに来てくれて、レンタルルームが活用されてほしいですね。

歩いて来れるところにいつでも来れる場所があって、今まで外にあまり出てなかった人たちが出かけてみようかという気持ちになって、楽しかった、ほっとしたという気持ちになってもらえたらと思います。

転勤のために泉北ニュータウンに来た当時は孤独だった。

ーーーそもそも中島さんがほーぷに関わろうと思ったのは、何がきっかけだったんですか?

私は福岡市から夫の転勤で泉北に来たんです。誰も知っている人がいない土地にきて、娘がまだ2歳ぐらいだった頃で、当時はすごく孤独でした。

そんなときに生協に入って、ご近所さんと知り合いになって、生協のカタログにワーカーズ・コレクティブ立ち上げメンバー募集のチラシが入っていて、ホームヘルパー講座の講習会のお知らせが書いてあって、「これだ!」と思って。

ーーー私の孤独を埋めてくれるのは「これや!」という感じでしょうか?

はい、家事も苦手で介護も未経験でしたが、行ってみようと思って説明会には2〜30人ぐらいいたと思うんですが、2週間後の2回目に集まったときは3〜4人でした。

ーーーずいぶん減りましたね。そのメンバーの結束は高そうですね。

そうでしたね。そこから少しずつ増えていき、今では48人います。

ーーーじゃあだいぶ孤独じゃなくなりましたね。

本当にそうなんですよ。だから私のように孤独と思ってる人も、こういうことがきっかけで居場所ができたり、友だちができたりすればいいなあと思っています。

居場所がないことが課題

ーーー泉北ニュータウンに来ると泉北ラボがあったり、茶山台にやまわけキッチンがあったり、いろんな居場所がある印象がありますが、訪問介護の仕事をされていると、まだまだ社会課題を目の当たりにされていることがありますか?

いっぱいありますね。精神的に家から出づらい人に出会うことが多いです。人と交わるのがちょっと難しいですとか。わりと40代、50代に多い印象です。

ずっと独身で一人暮らしの男性は行くところがパチンコ屋しかなかったり、小さいお子さんづれのお母さんとかも行くところがない。私も公園しかなかったですから。

本人たちは「居場所がない」とは口にしませんが、私からみて居場所がないのがわかるのですが、提案するところもないんですね。最近は茶山台とか少しずつそういう場所が増えてきましたが、小学校区にひとつくらいの割合で増えていてばいいと思います。

ーーー地域交流事業の男女比は女性のほうが多いですか?

圧倒的に女性が多く、20人中3人ぐらいが男性という割合です。男性も出かけやすい場所も必要だと思います。

居場所がない印象の方たちも、外に出ないといけない、引きこもっていてはいけないと自分を責められているのを感じる時があります。出ないといけないのではなく、出かけようかという気持ちになった時に出かけられる場所があったらいいと思います。本当に現在の制度だけでは解決できないことがあります。

ーーー何か少しでも改善に近づいた取り組みはありますか?

改善まではいかないかもしれないですが、ケアラーズカフェと言って、介護している人家族さんで、ちょっとしんどい人たちに来てもらって、いっしょにお茶をして、ちょっと相談を聞いたりとか、そういう取り組みを徳永さんが中心となってしていますが、やっぱり聞いてもらえて良かったという声もいただいています。

徳永さんは食事もつくるんですが、食べることは誰でも楽しみのひとつなので、おいしいものを食べれるなら行ってみようかなと思ってもらえたらと思っています。コロナ禍になってからは開催できていませんが、新しくできるコミュニティカフェで開催したいですね。