子どもが一歩踏み出せる場所をつくりたい! 田重田勝一郎さんが考える、「不登校」という言葉をなくす方法とは?

2022.12.27 ひきこもり子ども・わかもの泉北ニュータウンの孤立と地域をつなぐ助成事業特定非営利活動法人 志塾フリースクールラシーナ

文部科学省による令和3年度の調査(児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査:文部科学省)によれば、小・中学校を欠席している児童のうち、不登校児童の生徒数は約24万人で、不登校児童生徒数は9年連続で増加し、コロナウイルス感染回避の影響もあり、過去最多となっています。

富田林市と堺市中区に教室をもつ不登校などの課題を抱える子どもたちを支援する団体「特定非営利活動法人 志塾フリースクールラシーナ」でも、コロナ禍は大きな影響を受けたといいます。泉北ニュータウンの孤立と地域をつなぐ助成事業に手をあげた背景を、代表の田重田勝一郎(たじゅうた・しょういちろう)さんに聞きました。

子どもたちの居場所となるような駄菓子屋がつくりたい

ーーー今回の助成プログラムに参加された背景を教えてください。

私たちはずっと不登校の子どもの居場所づくりに取り組んできたんですけども、その中で不登校の子どもの居場所はぜんぜん足りてないんですよ。フリースクールに来たい子どもの数に対して、フリースクールの数ってすごく少ないんです。

近隣の子どもはもちろんいますが、大体の子はすごく遠いところから来ています。電車で何駅も乗って来るような、小学生の感覚では遠い距離です。泉北高速鉄道沿いの子もいれば、大阪市内から来る子もいます。泉北教室は割とこの堺市近辺の方が多いですけど、富田林市の教室は、富田林市の子どもの方が少ないぐらいなんです。

河内長野市とか堺市、和泉市、河南町などの周辺自治体のほぼ全部から来ていますし、中には奈良から1時間半かけて来てる子どももいます。

ーーーそんなにフリースクールは少ないんですね。

少ないですし、条件が会うところがなかなかないっていうのもあるかもしれません。遠くから来る子どもたちを今までたくさん見てきたんですけど、 普通に学校に行っている地域の子どもの居場所も足りてないんじゃないかという意識があります。

そんな状況もあって、駄菓子屋さんを運営したいと考えたんです。今どんどん駄菓子屋さんは減っていますが、僕らが子どもの頃は学校が終わったらランドセルを玄関先に放り投げて、100円玉を握り締めて駄菓子屋さんに行って、そこで1回みんなと集まって、100円で買えるお菓子を頭悩ましながら買って、そこから公園や習い事に行ったりとか、そういう一旦集まるハブになるような子どもの居場所だったと思います。

今回の事業に参加した背景としては、遠くの子どもの居場所だけじゃなくて、地域の子どもの居場所もつくりつつ、僕たちがずっとやってきた不登校の子どもの居場所と融合させて、不登校の子とそうじゃない地域の子が緩く交われる場所をつくりたいと思ったことがスタートです。

1階で駄菓子屋を運営して、2階でフリースクールをやるんです。しかも、その駄菓子屋だけじゃなくて、駄菓子屋とカフェを併設していて、夜は大人がお酒を飲みに来れる酒場にしたいですね。

システムエンジニアからフリースクールに転身した理由

ーーーもともとシステムエンジニアをされていた田重田さんが、なぜフリースクールをはじめたのでしょうか?

エンジニア時代から今も続けてるんですが、プロのエンジニアが休日に集まって、子どもたちがプログラミングを学ぶ場所を提供するというボランティア活動CoderDojo堺をずっとやっていまして。

7歳から17歳の子どもが対象で、17歳を超えたらボランティア側に回るという仕組みなんです。その活動を続ける中で、将来は子どもの教育に関わることを何かやりたいと漠然と考えていたんです。

その後、志塾フリースクールの創業者・山本さんと知り合いになって、CoderDojoの活動を聞いて、小学校でのプログラミングのワークショップを手伝ってほしいと声をかけてもらったんです。それは行政の委託事業で、西成区の小学校が全部で11校あるんですが、3〜4年生を対象に放課後児童教室の基礎学力を上げる取り組みでした。全部で300人ぐらいの子どもたちと一緒にプログラミングをやったんですね。

そこから志塾フリースクールの活動を手伝うようになりました。フリーランスのエンジニアとして個人で仕事をもらって活動もしていて、僕も会社をそろそろやめようかなというタイミングで「富田林の教室をやらないか」と声をかけてもらったんです。

志塾フリースクール自体は今年で25年目になるんですけど、大阪からはじまって、現在は全国で16拠点あります。

僕がこの仕事を始めたのは6年前です。みなさんがイメージする「フリースクール」を運営している人のイメージはフリースクールに思いがあったり、当事者の親御さんとか、自分が元当事者とかいう人がすごく多い世界ですが、僕は本当にこの業界に入るまで不登校の問題とか詳しく知らなくて、全くの素人の状態からはじめて、試行錯誤でやってきました。

ーーーそれは意外でした。

基本的には学習支援と体験活動っていうところを軸に活動してます。

学習支援は小学校1年生から高校3年生まで受け入れをしています。個別学習のスタイルで、その生徒が学びたいペースで1個ずつ積み上げていくスタイルです。

コンピュータの専門学校時代の同級生が理事になってくれて、うちの妻と含めて3人でスタートしました。

最初の生徒さんはたまたま車で通りかかった時にフリースクールという看板を見かけたことがキッカケで来てくださって。その子のお母さんが発達支援の界隈で自分の子どもがフリースクールに入ったっていう話をしてくださって、少しずつ生徒さんが増えてきたんです。全事業の教室をあわせると90人ぐらいの生徒がいます。

大和川から南側の地域はフリースクールが極端に少ない

ーーーどんな事業に携わっておられるのでしょうか?

メインのフリースクール事業の他に、放課後等デイサービス事業や、学習塾事業、通信制高校事業などを行っています。放課後デイサービスは昼の3時とか早くて1時とかから始まって、5時ぐらいに終わるのが通常ですが、 朝の10時から開いて夕方6時まで運営しています(自治体によってルールは異なる)。

僕たちがやりたい、不登校の支援に力を入れるために送迎をやめて、自分で来れる(または保護者の送迎が可能な)子どもだけを対象にしています。すると河内長野や奈良から電車に乗ってやってくる子どもが増えました。

学習塾も元々は助成金事業でWAMから助成金をもらって、困窮世帯向けの学習支援事業としてはじまり、助成終了と同時に事業化して、学習塾として運営しています。

また、島根県にある明誠高等学校と提携して通信制課程のサポート校をしています。

高校生は不登校になると全日制だと留年するか退学するかしか選択肢がないですよ。フリースクールに来ても高校を卒業したことにならないので、僕たちの通信制高校に転入してもらうんです。つい最近ですが、初めて大学受験の合格者が誕生しました。

ーーーフリースクールは他の地域と比べて少ないってことなんですか。

大和川(大阪府中心を東西に流れる川)から南側は本当に少ないんですよ。多分人口規模の問題かと思います。そもそもフリースクール自体があんまり知られてないという背景もあるのかと思いますけれど、放課後等デイサービスとかは制度事業なのに、フリースクールは完全に民間が勝手にやっている事業扱いなんですよ。

ビジネスモデルが超過酷なんです。フリースクールはビジネスとして基本的には成り立たない。法律的な扱いとしては学習塾と一緒です。公的な支援は一切なく、親御さんからいただく月謝だけです。

学習塾のようにたくさん生徒を入れることは難しい。そもそも集団が苦手で馴染めなくて不登校になっている子どもが対象ですから、1日に10人前後が基準です。だから小規模のフリースクールを泉北にたくさんつくっていきたいというのが今後の展望です。

コロナ禍にオンラインにシフトしたことで見えてきた状況

ーーーエンジニア時代よりも収入が減ったにも関わらず、やりがいをもっておられるそうですね?

はい、完全に好きなことだけやっていますから。プログラムでいえばオンライン学習のサービスをつくりました。これまでずっとやりたかったことですが、コロナ禍になった瞬間にまわりのみんなが理解してくれました(笑)

完全個別指導のオンライン学習会 ノ・マド​

僕らの支援のメニューとして訪問支援があるんですけど、訪問はなかなか精神的なハードルが高くて。受け入れる側も、もともとひきこもっている子どもが対象で、知らない人を家に入れることもハードルが高いことでした。その中間をとりもつバーチャルな訪問支援を2018年ぐらいから語っていたのですが、コロナ禍になってから理解してもらえるようになりました。

2020年3月の全国一斉休校になった時に、誰も教室に来れなくなってしまって。せっかく不登校だった子どもが勇気を出して家の外に一歩踏み出して教室に来れるようになったのに、これはまずいと感じてはじめたのがオンライン教室です。

もちろん勉強がメインですが、実際のその目的はその子の様子を知ることだったりとか、ストレスや不安を少しでも取り除くためのコミュニケーションを大切にしています。

緊急事態宣言が明けて、ちょっとずつ普通に学校に行っていた子たちも学校に戻り始めたら、フリースクールの子どもたちも教室に戻ってきたんです。だけど、コロナ禍になってから不登校の子は爆増したんですよ。

だから今度はうちの教室の子どもだけを対象にするのではなく、全国の引きこもってしまった子たちとか、コロナの不安で塾に行けないとか、そういう子を対象にする学習支援事業を正式事業として立ち上げて自主事業化しています。

元々は大阪周辺の子どもたちが多かったんですけど、今は沖縄とか静岡とかさまざまな地域から参加されています。オンラインで教えてくれる先生を募集したら、日本全国に先生が増えて、実は海外から参加している先生もいます。

留学中の人や移住した人など、オーストラリア、 ノルウェー、最近入った方はギリシャの人口7000人しかいない島から参加してくださっています。

引きこもっている子どもは自分の半径5メートルの世界で生きているので、そういう子たちにギリシャではどんな生活をしているのかとか、料理の話とか、勉強も大事ですが、外に目を向けてもらうためのきっかけになるような話もしてもらっています。

駄菓子屋の次の夢は不登校の概念をなくすこと

ーーー泉北の教室にこの場所を選ばれたのは何か理由はありますか?

ここは全くこだわらずに選んだんですよ。本当は計画ではもう少し後の予定だったんですけども、緊急事態宣言が出た瞬間に、本当に嘘じゃなく、毎日不登校の相談が入るようになって。これは悠長なことを言ってられないと考えたのが2020年9月ぐらいで、ここをみつけてすぐに契約して鍵を9月末にもらって「10月1日からはじめます」とFacebookに投稿しました。「何もないから何かください」と書いたら、「机をあげるよ」とか、「家財道具あげるよ」とか家具を寄付していただいて、何も買っていないんです。

だから今回の事業で助成金を使って内装工事しようとしているんですが、こんなにお金をかけるのははじめてです。

今回の助成金の使いみちとしては、先ほどお話しした駄菓子屋の夢と話がつながるんですけど、僕たちの法人で目指している究極の目標は、不登校という概念をなくしたいということなんですね。

普通に学校行っている子も不登校の子も同じ子どもで、学校に行ってるから、地域の学校に行ってないから、不登校と呼ばれるのは変じゃないですか。

実際は不登校の子は、 自分の校区の子に会いたくないんですよ。だから大体の子は家からちょっと離れたフリースクールに通います。

だけど、ぜんぜん友だちが欲しくないわけじゃなくて、ここに来たら友だちもできます。全然知らないコミュニティに入ったら、友だちもできるんですよ。

だから僕たちがつくる駄菓子屋さんは、普通にその辺の近所の子どもたちが集まってくる居場所でありながら、遠くから来るフリースクールの子も2階にいて、なんかの拍子に降りてきて、同じ場所を共有し、明確に交流はしなくても、同じ場所を共有することでユルくつながれる。そんな場所をつくりたいなって思ったのが、今回の事業の背景です。

泉北ひみつ基地という名前をつけて、倉庫を改装してやりたいと書きました。今回は近隣センターという商店街につくります。フリースクールってわりと閉鎖されている空間で、外との関わりがあまりないのですが、今回つくる事業は、完全に地域の人に開く場所をつくるんです。これまでの取り組みは地域密着に見えて、地域外の子どもたちが来ていますから。

地域に入っていけば面白いと思い始めた理由は2つあり、地域にコミットしなくては、と考えたのが1つと、もう1つはその申し込まなくても来れる場所をつくりたかったというのがその理由です。

フリースクールに来るのはすごいハードルがあるんですよ。親御さんが自分で調べて見つけて問い合わせをして面談して不登校になっている子どもを連れてくる、という一連の流れはかなりハードルが高いので、駄菓子屋の中にフリースクールがあれば来やすいと思います。